ずいぶん見ている、何百回となくさ
じゃあ訊くが、そこの階段は何段あるかね___S・Holmes asked.
[PR]
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
だいすきです。
それと。これも何らかの化学反応だと思います。
これを聞くと、何故か忍たまの上級生……たぶんですけど、五年生を連想します。
いったいどんなエレメントを抽出したのか……。
ちなみに同じ曲ですが、こっちの【歌ってみた】もすきです。
というかASKさんが好きです。
これを聞くと、何故か忍たまの上級生……たぶんですけど、五年生を連想します。
いったいどんなエレメントを抽出したのか……。
ちなみに同じ曲ですが、こっちの【歌ってみた】もすきです。
というかASKさんが好きです。
PR
つぶやく
そんな訳で私も twitter !
しょうもないことしか呟いてないですけどね!
くーさんの妖アパの読破スピードが驚異の素早さで、ニヤニヤしています^^ もう呟いたけど、3巻もいい味出てると思います(笑)
それから、クリを挟んでのパパママもいいですよねー☆ 長谷のパパっぷりも稲葉のママっぷりも磨かれる一方^^
そして日野様の想い人っていうのも気になります。日野様と神田さんとやらの理想形かー……。
しょうもないことしか呟いてないですけどね!
くーさんの妖アパの読破スピードが驚異の素早さで、ニヤニヤしています^^ もう呟いたけど、3巻もいい味出てると思います(笑)
それから、クリを挟んでのパパママもいいですよねー☆ 長谷のパパっぷりも稲葉のママっぷりも磨かれる一方^^
そして日野様の想い人っていうのも気になります。日野様と神田さんとやらの理想形かー……。
妖アパとツイッター
今日ですね! 図書館でですね!
あ、私、図書館でボランティアみたいなことをしてるんですが、その特権を活用しましてですね、選書の際に妖怪アパートをですね、入れてもらったんですが。
その一巻と二巻が貸し出されてたんですよーえへへへへ!
うふふふその調子で皆のもの! 妖アパを読むがいい!
って、内心で叫んでました。たぶんニヤニヤは顔に出てたと思う。うわあ変人! 気にしない!
あ、文庫版妖アパ四巻ですが、来月6月の15日に発売らしいです! でも、うちんところは地方なので、二三日遅れるんですけどね!
ようやく四巻かー。千晶が出るまではまだ先があるなあ。五巻ですけど。また数カ月待つんだなあ。待てるけどな!
地獄堂の五巻も早く発売されないかなあ待ち遠しいなあ!
折角図書館に入ってるので、また一から読み直すのもありですよね。四巻は来月出るからいいとして、五巻からまた読もうかな。
そういや今日、小説の新刊眺めてたら、香月さんの作品があったなー。
原作だけで満腹感。なるほどーと思いました。そういう理由で少ないのかもな。でも個人的には依然として二次創作よみたいです(笑) でも、千夕とかのカップリングじゃなくて、なんていうのか……それこそ原作の隙間を補完した二次創作が読みたい。隙間。間隙。あるいは裏話。後日談。言い方はなんでもいいんですけど、たとえばご飯中の一時とかな。バーベキューの様子だとかな。地獄堂と舞台が重なってるか近似しているようなので、三人悪と稲葉の遭遇だとかな。いえ最後のは読んだことあるんですけど。
『~幽雅な食卓』に載ってる小話はまさにそれだと思います。稲葉と長谷の話。稲葉と千晶の話。まさに妖アパ本編では語られなかったお話。
……とすると。私の二次創作を求める気持ちって、つまり香月さんに「番外編読みたいです!」って希求するのと同じ気持ちなのかな^^ 幽雅な食卓も面白かったです。写真のご飯も美味しそうでした。
二巻も! 何を隠そう私が初めに読んだの二巻ですからね。二巻は、読んだ人間に三日かけてラストまで立ち読みさせた挙句にその足で一巻を買わせるほどの威力です。すごいです。事実です。過去です(笑)
あと、『30分で達人になれるtwitter』っていう本もあったんでパラ見したんですけど。余計よくわかりませんでした。何これこんな難しいのツイッターって? みたいな。
でも30分で達人になれるほど単純なサービスでもある訳ですよね。これはあれか、案ずるより産むが易しってことですよね。
ヒャダインさんのブログのリンクから産経WEBの、著作権にくわしい先生によるツイッターに関する記事を読んで、なにやらミクシィよりも著作権がうんぬん規約がうんぬんっていう話も聞いてちょっとびびったんですが。でもまあこれもまずは産んでからだよな。いや規約は産む前に読むべきですけどね。著作権のことですけどね。自分の発言は自分の認可なしで利用されますよって話でした。
あ、私、図書館でボランティアみたいなことをしてるんですが、その特権を活用しましてですね、選書の際に妖怪アパートをですね、入れてもらったんですが。
その一巻と二巻が貸し出されてたんですよーえへへへへ!
うふふふその調子で皆のもの! 妖アパを読むがいい!
って、内心で叫んでました。たぶんニヤニヤは顔に出てたと思う。うわあ変人! 気にしない!
あ、文庫版妖アパ四巻ですが、来月6月の15日に発売らしいです! でも、うちんところは地方なので、二三日遅れるんですけどね!
ようやく四巻かー。千晶が出るまではまだ先があるなあ。五巻ですけど。また数カ月待つんだなあ。待てるけどな!
地獄堂の五巻も早く発売されないかなあ待ち遠しいなあ!
折角図書館に入ってるので、また一から読み直すのもありですよね。四巻は来月出るからいいとして、五巻からまた読もうかな。
そういや今日、小説の新刊眺めてたら、香月さんの作品があったなー。
原作だけで満腹感。なるほどーと思いました。そういう理由で少ないのかもな。でも個人的には依然として二次創作よみたいです(笑) でも、千夕とかのカップリングじゃなくて、なんていうのか……それこそ原作の隙間を補完した二次創作が読みたい。隙間。間隙。あるいは裏話。後日談。言い方はなんでもいいんですけど、たとえばご飯中の一時とかな。バーベキューの様子だとかな。地獄堂と舞台が重なってるか近似しているようなので、三人悪と稲葉の遭遇だとかな。いえ最後のは読んだことあるんですけど。
『~幽雅な食卓』に載ってる小話はまさにそれだと思います。稲葉と長谷の話。稲葉と千晶の話。まさに妖アパ本編では語られなかったお話。
……とすると。私の二次創作を求める気持ちって、つまり香月さんに「番外編読みたいです!」って希求するのと同じ気持ちなのかな^^ 幽雅な食卓も面白かったです。写真のご飯も美味しそうでした。
二巻も! 何を隠そう私が初めに読んだの二巻ですからね。二巻は、読んだ人間に三日かけてラストまで立ち読みさせた挙句にその足で一巻を買わせるほどの威力です。すごいです。事実です。過去です(笑)
あと、『30分で達人になれるtwitter』っていう本もあったんでパラ見したんですけど。余計よくわかりませんでした。何これこんな難しいのツイッターって? みたいな。
でも30分で達人になれるほど単純なサービスでもある訳ですよね。これはあれか、案ずるより産むが易しってことですよね。
ヒャダインさんのブログのリンクから産経WEBの、著作権にくわしい先生によるツイッターに関する記事を読んで、なにやらミクシィよりも著作権がうんぬん規約がうんぬんっていう話も聞いてちょっとびびったんですが。でもまあこれもまずは産んでからだよな。いや規約は産む前に読むべきですけどね。著作権のことですけどね。自分の発言は自分の認可なしで利用されますよって話でした。
つぶやき+TOD
最近は日記の更新が滞るたびに「ツイッター、してみようかな」って思います。というか以前からもっと簡素なブログにして、短文アップでも気になんないようなデザインに、とは思ってたので、ツイッターはとても希望通りっぽい。
わざわざね、記事にするまでもない呟き程度のことならね、いつも書きたい叫びたいって思ってるのです。よ。
たとえば。
なんだかスタン(TOD)がとても好きですよ。とか。
つい出来心でPS版TOD(250円)を買いましたよ。とか。
ついでに買った攻略本(105円)の文章の言葉選びや言い回しがえらく洗練されてる点に感心しました。とか。
ヘッド静雄と任侠姐さんのネタワンシーンを思いつきましたよ。とか。
でも忘れましたよ。とか。
リオンに嫉妬するくらいスタン愛サイトさんが少ないけれど、TODではリオン愛なスタリオが一番メジャーなのでたくさんあって、その場合のスタンのほうがスタン受けよりも男前でかっこいいので、なんとも嬉し悲しですよ。とか。
オリジナルDとリメイクDは違いすぎだろ、とか。オリジナルのスタンのほうが好きだな、とか。ロイドとスタンって具体的にはどこが違うのかな、とか。仲間だったひとが敵になった場合、ロイドはすぐに剣を向けるけれど、スタンはそうじゃないよ、ってきいて納得した、とか。vsリオンとvsゾンビリオンでよりも、ソーディアンとの別れのほうで大泣きしそうだ、とか。
なんかTODばっかですね。仕方がないのです。太陽の下でまして輝く金の髪と、青空をうつしたような青い瞳と、向日葵みたいに朗らかな笑みと、田舎育ちで純朴で世間知らずであると同時に常識人でいて年相応に皮肉や厭味も言っちゃう(PS版)とかいうスタンに、にわかにノックアウトされちまったのです。
断然オリジナルスタンが好きです。「スタンは菩薩!」とかいう発言に心から違和感を覚えます(PS2版はそうなのかな……? でもTOVSのスタンを考慮したらやっぱ違和感)
おっと語りすぎ語りすぎ。
そんなわけでツイッター……。
小説だのイラストだのはよくよく読んだり見たりしてるので、衝動で叫びたくなることが多々あるんです。便利だろうなー。
わざわざね、記事にするまでもない呟き程度のことならね、いつも書きたい叫びたいって思ってるのです。よ。
たとえば。
なんだかスタン(TOD)がとても好きですよ。とか。
つい出来心でPS版TOD(250円)を買いましたよ。とか。
ついでに買った攻略本(105円)の文章の言葉選びや言い回しがえらく洗練されてる点に感心しました。とか。
ヘッド静雄と任侠姐さんのネタワンシーンを思いつきましたよ。とか。
でも忘れましたよ。とか。
リオンに嫉妬するくらいスタン愛サイトさんが少ないけれど、TODではリオン愛なスタリオが一番メジャーなのでたくさんあって、その場合のスタンのほうがスタン受けよりも男前でかっこいいので、なんとも嬉し悲しですよ。とか。
オリジナルDとリメイクDは違いすぎだろ、とか。オリジナルのスタンのほうが好きだな、とか。ロイドとスタンって具体的にはどこが違うのかな、とか。仲間だったひとが敵になった場合、ロイドはすぐに剣を向けるけれど、スタンはそうじゃないよ、ってきいて納得した、とか。vsリオンとvsゾンビリオンでよりも、ソーディアンとの別れのほうで大泣きしそうだ、とか。
なんかTODばっかですね。仕方がないのです。太陽の下でまして輝く金の髪と、青空をうつしたような青い瞳と、向日葵みたいに朗らかな笑みと、田舎育ちで純朴で世間知らずであると同時に常識人でいて年相応に皮肉や厭味も言っちゃう(PS版)とかいうスタンに、にわかにノックアウトされちまったのです。
断然オリジナルスタンが好きです。「スタンは菩薩!」とかいう発言に心から違和感を覚えます(PS2版はそうなのかな……? でもTOVSのスタンを考慮したらやっぱ違和感)
おっと語りすぎ語りすぎ。
そんなわけでツイッター……。
小説だのイラストだのはよくよく読んだり見たりしてるので、衝動で叫びたくなることが多々あるんです。便利だろうなー。
事象の受け取り方
ふと。
リディアとヴィータ。
夏に「生」を感じる。葉が繁り、果実が実り、虫が身を震わせて、夏に盛りを迎えて生を謳歌する生き物を見て、自らもまた「生」を実感する。
夏に潜む「死」を感じる。夏に盛りを迎え、あらん限りの活力をつぎ込み、じりじりと照る日の下で着実に終わりに近づく事実を日陰の中に見る。
単純にイメージから考えると、「生」を感じるのがリディアで、「死」を感じるのがヴィータであり、そして実際にもそうなんですけど。
そこに至るに少なくとも一度の反転を経過している。
ヴィータもやっぱり初めは輝く夏に「生」を感じるのだけど、頭でいろいろ考えちゃう子だと思われるので、夏がゆき、秋を迎え、冬に至る経過の中で生死の移り変わりを見る、と。特に晩夏とか、蝉の死骸とか見ちゃってね。春が来て、また夏を迎える四季の循環の中で、なるほど夏とは「死」の入り口であるのだな、と。
リディアもやっぱり初めは「生」。んで、幼いながらも幼いなりにいろいろ人生経験を積んでいく中で、ませちゃったりなんだり、生の裏に「死」を見るように捻くれちゃうんです。けど次第に、人生には表裏一体の事柄が数多あり、むしろそれが普通であるから、いちいち裏をみてたんじゃあ仕方がない、と。ならとりあえずは望まれるとおりに表側を、見たままに、素直に受け取ろう、と。夏の生命の発露に「生」を見るようになる。あくまで表裏を捉えたうえで選択的に表側を受け取る、ってことですけど。
うーん、どっちも根暗。
実際はヴィータはそれなりに幼いころからリディアと交流があるので、それほど顕著な差はないはずですけども。
当初は本当は、夏に「生」を感じる少年と夏に潜む「死」を感じる少女を考えてたんですけどね、つまり一度目の反転を迎える前で止まってた。んですけど、理論武装していくうちにこっちに落ち着きました。
リディアとヴィータ。
夏に「生」を感じる。葉が繁り、果実が実り、虫が身を震わせて、夏に盛りを迎えて生を謳歌する生き物を見て、自らもまた「生」を実感する。
夏に潜む「死」を感じる。夏に盛りを迎え、あらん限りの活力をつぎ込み、じりじりと照る日の下で着実に終わりに近づく事実を日陰の中に見る。
単純にイメージから考えると、「生」を感じるのがリディアで、「死」を感じるのがヴィータであり、そして実際にもそうなんですけど。
そこに至るに少なくとも一度の反転を経過している。
ヴィータもやっぱり初めは輝く夏に「生」を感じるのだけど、頭でいろいろ考えちゃう子だと思われるので、夏がゆき、秋を迎え、冬に至る経過の中で生死の移り変わりを見る、と。特に晩夏とか、蝉の死骸とか見ちゃってね。春が来て、また夏を迎える四季の循環の中で、なるほど夏とは「死」の入り口であるのだな、と。
リディアもやっぱり初めは「生」。んで、幼いながらも幼いなりにいろいろ人生経験を積んでいく中で、ませちゃったりなんだり、生の裏に「死」を見るように捻くれちゃうんです。けど次第に、人生には表裏一体の事柄が数多あり、むしろそれが普通であるから、いちいち裏をみてたんじゃあ仕方がない、と。ならとりあえずは望まれるとおりに表側を、見たままに、素直に受け取ろう、と。夏の生命の発露に「生」を見るようになる。あくまで表裏を捉えたうえで選択的に表側を受け取る、ってことですけど。
うーん、どっちも根暗。
実際はヴィータはそれなりに幼いころからリディアと交流があるので、それほど顕著な差はないはずですけども。
当初は本当は、夏に「生」を感じる少年と夏に潜む「死」を感じる少女を考えてたんですけどね、つまり一度目の反転を迎える前で止まってた。んですけど、理論武装していくうちにこっちに落ち着きました。